国家資格である一級建築士のなかには、建築設計事務所の人、ゼネコン設計部の人、現場監督の人、大工さん、ハウスメーカーの設計開発部門の人、建材メーカーの人、学校の先生、研究者、役所の建築関係の人その他、資格を取るのを趣味としている人?などの多方面にわたります。
また、一級建築士の資格をもっているからといって、どこの世界でも同じように個人の能力の差はピンきりなのです。そして一般的には、ハウスメーカーや、ゼネコン、工務店等の支配下に属せず、依頼者から直接依頼をうけ設計監理業務を主におこなっている設計事務所のうち、社会的責任と第3者性を持ちつつ建築のプロとして高度の専門知識と能力をもって依頼者に対して十分な説明と理解と納得(すごく重要)を得つつ、依頼者の財産と利益をまもる為、依頼者に変わって業務上の決定権と裁量権を委ねられ、誠実に真摯にひたむきに設計と監理の業務を遂行できる人が建築家であると思います。ここまでは、医師や弁護士、公認会計士(本当の意味での)と通ずるものがありますが同時に創造者としての能力が求められます。ほかの芸術家とは異なり、建築には強い制約と厳しい条件(クライアントのとりとめもないたくさんの要望は当たり前の事として、建築基準法、都市計画法、宅地造成等規制法、消防法、各市町村で定める日影条例、人街条例、土地区画整理法、河川法、港湾法、駐車場法、道路法、廃棄物等の処理法、電気事業法、水道法、下水道法、ガス事業法、騒音規制法、水質汚濁規制法、急傾斜地の崩壊による災害防止法、金融公庫法、屋外広告物法、省エネ法、労働安全衛生法、などなど、それに建物の用途によって医療法、旅館業法、風営法、興行場法、、老人福祉法、児童福祉法、社会福祉事業法、文化財保護法、学校教育法幼稚園設置基準法、きりがないのでもうやめときます)の中で建物を創造する力が求められます。 そしてその創造に関する正解は100人の建築家がいれば誰一人として同じ回答はないのです。また同じ条件で同じ建築家でも依頼者がかわれば全く違った建物になるのも事実です。
それはその建築家がその土地をどう読み、依頼者であるあなた(住宅以外であれば使用者と同時にその利用者)をどうとらえるかが、その建築家ごとの考え方、能力、性格、人間性の差となって表れるのです。また私の場合は、できる限りのあなたの要望をお聞きし、叶えてあげられるよう努力しますが、決して、あなたにぴったりの建物を創ろうとは思っていません。あなたならこの空間に自分なりの色をつけて楽しく暮らしていけるであろう、使いこなしていってくれるであろうという空間や住んでみてはじめてわかる、四季の変化や光のうつろいなど、忘れていた「なにか」を感じ取れるような空間を創ってあげたいのです。
また先程、社会的責任と第三者性という言葉を用いましたが、ただ単に建築施工会社とあなたの間にたつという第三者性に加え、住宅であれ、どんな建物であっても、その建物が建つ事で、影響をおよぼす、すべての事項(街並の問題、日影の問題、工事公害など)について、第三者的な目を持って同時に考えておく能力も必要です。ですから建築主であるあなただけの立場で物事を考えることもできないのです。
その建物の前を歩く人々にとって、微笑ましく思われるような建物であれば結果、その建主にとってとてもよい建物となるでしょう。デザインや奇抜さだけを優先して、機能性や街並に対する配慮を忘れた建物では自分だけは満足しているつもりでも他人からは白い目で見られてしまえば良い建物とは言えなくなるでしょう。
自分だけが良ければ良いとか、他人に対するやさしさとか考えられない方であれば、私はお役にたてないかもしれません。遠慮なく断ってください。
最近、どんな世界でも、自分の事はさておき、他人の悪いことだけを批判したり、攻撃したりする人が多すぎると思いませんか?自分自身には甘いせに。
人間っていろいろな人に助けられて生きているのに、ひとの悪い面だけしか目に入らず許せない人が多すぎます。こんな時代だからこそ、もっともっと、ポジティブに、他人に対して優しい気持ちをみんなが持つ事ができれば、日本も変わるのに。 かといって、世の中のいろいろな事項に対して批評しあったり、熱く討論し合ったりすることも大切なことだと思いますが、物の本質抜きでうわべだけの批評や討論では意味がないのです。 お互い本音で話をしましょう。そんな中からお互いの信頼関係とか、お互いを尊重しあう気持ちがうまれるものだと思います。
最近雑誌やマスコミで欠陥住宅について取り上げられていますが、業者が悪意を持って、お金の為だけにそうなってしまったものとか建築時には施主の介在しない分譲建売り住宅(ほとんどの場合、設計事務所が設計したとしても、予算面から監理はつかないのでだいたい、どうなるかっていうのは目に見えている)は論外として、世間で言う「注文住宅」の場合、たとえば、床がこんなにも傾いて、雨漏りがどうで、ここの建築屋はこんな対応しかしないので悪い。 それはどうしてそうなったのか?原因はなんだったのか、施工体制はどうあって、請負金額はいくらで、工期は十分にあったのか、施主の要望はどうだったのか、建築家の監理はそこに存在したのか、役所の検査は何を検査してどうであったのか、施主も任せっきりにしないで、こまめに現場に来て、設計監理者や現場監督からきちっとした説明をうけたのか、とか深い部分まで、掘り下げて発表されているのは稀です。ただ言える事は、良識ある、業務に誠実で、有能な建築家の存在があれば、世間で言われています欠陥住宅というものは、ほとんど存在しないでしょう。ましてや、倒壊して人命に危害をおよぼすような基本的な、構造的な欠陥は存在しないということです。
開き直って言うつもりはないのですが、建築は現場で同じ人間がやる仕事です。一生懸命やった中にも、不具合がでます。
壁がひび割れたり、建具や木材が反ったり、することもあります。しかしほとんどの設計者は、できるなら自然素材を使いたいと考えています。接着剤がしっかり入った
左官材料や木目の印刷された塩ビシート張りの建具などを使えば、ひび割れることもないでしょうし、素人目にもきれいです。しかもクレームも少なくなるでしょう。しがし事前にその素材や材料、工法、コストについて長所と欠点の説明を受け、お互いの意思疎通が出来ていれば、そしてお互いの責任を真摯に受け止められる施工者や建築家の存在と迅速な対応、そしてあなたとの信頼関係があれば、そういった事は欠陥やクレームにはむすびつかないのです。
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